オーシャンマンも決勝に出たい
力を入れていたボードレースでしくじってしまい、放心状態になりました。
しかしまだオーシャンマンが残っていたので、
クールダウンをしながら召集を待ちました。
そして召集。
事前発表ではボードレースの予選と同じく3ヒートと発表されていましたが、
召集場所に集まったのは21人。
事前のヒート分けに則ると、
ヒート毎の人数がマチマチになるようで、
その場で10人と11人の2ヒートに組み直されました。
僕は第1ヒートの4コースに。
10人中8人に入れば決勝です。
それなら決勝に出れるんじゃないかと思いました。
オーシャンマンは予選通過は無理だと思っていましたが、
せっかく来た世界マスターズ、
ひとレースでも多くやりたかったので俄然やる気になりました。
そうこうしているうちに数人の選手が、
「予選をやめて全員で1発決勝にしよう」と言い出しました。
僕にも「お前はどうだ? 」と聞かれたので、
勢いで「いいねー」と返事。
審判のひとたちが3〜4分相談。
「よし、そうしよう!」ということになりました。
もしかしたら2レースできるかもと思っていたので
僕はちょっぴり残念に思いました。
しかし何にせよ決勝に出れるわけです。
それはいい事だと気持ちを切り替えました。
いよいよ最後のレース。
オーシャンマンの競技順は、
スイム-ボード-スキー-ランでした。
僕はライフセーバーの中では泳ぐのが遅いです。
なのでボードとスキーで追い上げる展開しかありませんのでそのつもりに。
スタート。
スイムは故障を抱える左肩の違和感もなく自分なりにしっかり泳げました。
しかし予想通りビリに笑
2番目のボードは自信があったので頑張りどころ。
3人交わしました。
3番目のスキーは、
今回に向けてはほとんど練習しませんでした。
でも通年で漕ぎ続けているのでなんとかなるだろう、と。
借りる予定のスキーが間に合わず急遽、
神戸LSCの尾田さんのご尽力で借りられたスキーを使いました。
普段乗らないタイプの艇だったので前半少し慎重に入り、
ブイ回航あたりからペースを上げて2人交わして上陸。
最後のランは元気にゴールまで駆け抜けられました。
21人中16位。
ボードレースもオーシャンマンも、
サーフレースもサーフスキーレースも、
世界にはアラフィフ同年代でこんなにたくさん
ライフセービングスポーツを楽しんでいる人がいることが分かってとても嬉しかったです。
翌日のリレー種目では、
個人種目には出ていなくてリレーだけ出ている人もたくさんいて、
会場は選手で溢れていました。
日本でもこうなったらいいなぁと思いました。
オーシャンマンのときはJLAの入谷理事長始め平藤さん、
ハンドラーも務めてくれた神戸LSCの尾田さん吉田さん北川さんの応援があって、
レース中とても楽しかったです。
ブログに使っている画像のほとんどは入谷理事長が撮ってくださいました。
ありがとうございました。
春に肩を故障。
それでも棄権するのが悔しくて出場した
6月のオーシャンマンではクロールができなくて溺れたような泳ぎになり。
故障の治療から肩がようやく動かせる段階になった9月、
また棄権するのが悔しくて出場したオーシャンマンで練習不足でフラフラになった、
だらしないレース。
今年3回目でやっと、
なんとかレースっぽい感じにやれました。
とはいえノロノロとしたレース展開でしたが。
本当は春と秋のレースで少しずつステップアップして、
この世界マスターズに臨む皮算用でした。
しかし故障を抱えてまるで練習できない期間が長引いて、
すっかり「取らぬ狸の皮算用」となってしましました。
しかし9月から、
愛知LSCの堀尾くんの勧めでコウノエベルトを使って練習したり、
ツイッターで知った
コンプレフロスバンドを使って故障箇所のケアをすることで、
日に日に練習強度を上げることができました。
一緒にボードの練習に付き合ってくれた専大後輩の大場くん、
日体大LSCの橋本くん井田くん、熱川LSCの野間口くん、
ほかスポットで練習に付き合ってくれた皆さん、
ありがとうございました!
世界大会のオーシャン種目で、
日本人の男子はまだ個人のメダルを取っていないはずです。
ボードレースの決勝前に目標を固めました。
マスターズではありますが、
初めてオーシャン種目の男子個人メダルを取る、と。
そして、
数日後にレースが始まる日本代表のみんなにエールを贈りたいと考えてました。
こんな僕でもやれた、みんなならもっとすごいことができる、と。
力及ばずその野望は未遂に終わりました。
しかし、
ボードなら同年代のオーストラリア人と良い勝負ができそうなことが分かりました。
ということで新しい野望ができました。
その野望に向かってまた日々楽しく多摩川で漕いで暮らしていこうと思います。