ライフセービングスポーツの世界大会へ
今年は2年に1度のライフセービングスポーツの世界大会が開催される年です。
会場はオーストラリアのアデレード 。
僕は今年48歳の年男。
節目に何かしたい。
と考えて世界大会のマスターズ部門に挑戦しようと去年から考えていました。
マスターズは、30歳以上で5歳刻みに年齢区分が設けられています。
レースは同年代との闘いです。
国籍のある国のライフセービング協会に登録して、
ライフセービング活動をしている人であれば
希望すれば基本的にだいたい出場できます。
世界各国からクラブチームとしてエントリーするので、
僕は日本代表ではありません。
代表選考があるわけでもありません。
なので言うとしたら「東伊豆町から世界に挑戦!」です。
いざボードレース!
エントリーしたのは3種目。
サーフスキーレース、ボードレース、オーシャンマンレース。
今回、僕はボードレースに力を入れていました。
僕は48歳ですので45〜49歳のカテゴリーに入りました。
僕の スイムはただでさえ物凄く遅いし、
サーフスキーはこれまでの海外遠征で、
同年代やそれ以上の年代の選手でも、とてつもなく速いことを知っていました。
海外のサーフスキーやカヤックの普及と浸透具合いは日本とは比較になりません。
事前情報は少なかったですが
ライフセーバーの専売特許といっても過言でない
ボードレースで世界の同年代に挑戦することにしました。
レース前日にウォーミングアップ。
予選レースと同じ時間帯に、潮の満ち引き具合いを見て、
地形の変化を把握しました。
前日とレース前のウォーミングアップについて
篠田智哉選手からアドバイスをもらっていました。
それを参考にして、
漕ぐ強弱をつけて気持ちよく1時間半。
調子は悪くなく、良い感触でした。
11月19日レース当日の朝7時、チームマネージャーミーティングに出ました。
チームから一人で参加しているのでマネージャー兼務ということで。
翌日の天候が悪いからと、実施種目が変更に。
20日朝8時に予定されていた僕の年代のサーフスキーレースを19日朝8時から行う、と。
その時点でスタートまであと40分。
貸してもらうサーフスキーの手配がついていなかったので棄権を決断しました。
代わりに、
日本から僕以外に出場していた神戸ライフセービングクラブの皆さんの応援と
ウォーミングアップに余裕を持って時間を充てられて結果オーライでした。
そしてボードレースの予選の召集。
予選は3ヒート。各ヒート10〜11名。
僕は第1ヒートに。
ヒート毎に列に並んだ時点で僕の目は沖250mにあるピンク色の第1ブイに。
「絶対に第一ブイを1位で回るぞ」と気合いが入っていました。
そしてスタートの合図。
スタート直後の浅瀬の水深は前日に確認したとおり。
スタートはまずまず成功。
沖120mにあるスイム用のブイを過ぎたところで横に視線を送ると先頭争いをしていました。
「よし、第1ブイを取るぞ!」と気合いが入りギアを上げました。
いきなりピンチに
目測で「あと15〜20パドルでブイだな」、
という辺りで前のほうから「Hey,hey!」という声が聞こえました。
前方のIRBに目をやると、
船上の審判が僕の背後を指差して叫んでいました。
振り向くと、
なんと他の選手が手前の白黒ブイを回航していました。。。
本来のボードレースのブイより80m手前にあるブイを。
ゴールして確認したら、
マスターズでは僕の年代より上は短縮コースだったのです。
スタートラインで入れ込み過ぎて、
スターター審判の最終確認の話はまともに聞いてませんでした。。。
何か「blacl and white buoys...」とか言ってるなぁとは聞こえてましたが
早口で半分以上聞き取れなかったのでスルーしてしまい。。。苦笑
他の選手が白黒ブイを周るのを見た瞬間、頭が真っ白になりかけましたが、
それでも諦めずに、すぐに方向転換して追いかけました。
上位6名に入らないと予選落ちです。
ほかの選手よりだいぶ沖に出てしまっていたので
気づいた時点では断トツのビリになってましたが
呻きながら一心不乱に漕いで4人交わし鼻差の6位でゴール。
なんとか予選通過しました。。
しかし挽回するために必要以上に力を出し切った感がありありで、疲れ方は半端ない。。。
【 続く 】